24歳 看護師 日々、暮らし

せっかく生きているんだから。

2年越しの卒業旅行

大学時代の同期が大学院へと進み、この度卒業を迎えた。バトミントン部のメンバーとこの度沖縄旅行を計画。私にとって2年越しの卒業旅行となる。

 

搭乗前の待ち時間で記帳。思い出に耽る。

 

高校から始めたバトミントン。特に入るサークルがなかったのでなんとなく入部した。あと、先輩が優しかった。

 

一応、体育会系部活動なので、練習も規則もまあまあ厳しい方だった。振り返らせていただきたい。備忘録ということで。

 

部活中のルール。

先輩にシャトルを集めさせない 一年生はしっかり声をだす 20分前に来てネット組み立て 順番周りを意識する

 

飲み会のルール。

お会計のレシートは年下が先輩に見せる 先輩が手をつけたものから食べれる 女子の先輩が卓にいたらドリンクメニューを差し出す 年下が注ぐ 一年生は席のくじ引きを作る 基本正座 三大飲みの時はスーツ 入部はじめはルールを教える飲み会がある 挨拶まわり1番上の先輩からグループで回る

 

その他のルール。

基本21時以降は返信しない やむを得ず連絡する場合は一言添える スタンプを使わない 基本メールを使用 2個以上の先輩には基本メール 

 

思いつく限り挙げてみたが、これを規制するとなると窮屈に感じることがあった。

が、それも青春。同期と文句を言いながらこなした日々が,今では尊い

 

与えられた環境の中でどれだけ楽しみを見つけられるか。大学時代に経験として吸収できた気がする。

 

社会に出て必要だからと当時は言われていたが、社会人となった今、成仏できた割合は果たして如何程なのか。おそらく2割も行っていない気がする。残りの8割は楽しむためのエッセンス。

 

ルールに縛られるのは得意ではないけれど、規則の捉え方は柔軟になれた。4年間の部活動は中高生時代と違って、大人な活動だったが、本当に青春の一言でまとめきれないくらいに、青すぎた。

 

またおいおい卒業旅行の思い出話として馳せていきたい。

富士が好き

先日、障がい児の家族主催のキャンプに参加させていただく。朝霧で行ったが、ロケーションが最高。

 

やっぱり、私は富士が好き。

 

幼い頃に家族と富士登山した。

自由研究は登山日記と富士の歴史。知れば知るほど魅せられていた。

 

田子の浦に うちいでてみれば 白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ

山部赤人

 

百人一首でお馴染みの句。素人ながらに好きで、なんだかルーツを感じる。海と雪化粧した富士の,情景が圧巻だったのだろう。

 

昔から今でも愛させる富士。その魅力や恩恵を受けてきた。綺麗に見えた日には、今日の運勢までも表しているかのよう。どっしりと,佇む。その在り方にどこか頼ってしまう。嫌なことがあっても、あの壮大な富士を見ると、自分の悩みがちっぽけに感じてどうでも良くなる。最高の相談相手なのかも知れない。

 

今も昔も,そこにあるもの。不変であるものに生命の壮大さを感じる。富士。

今も、バリバリ?

しばらく徳島遠征の出来事を語る。

 

学生時代、よく行ったカレー屋さんに赴く。

 

当時から、将来や人生についてお話していた。今回久しぶりに訪れたが当時の話を覚えててくださった。

 

「今も、バリバリ?」

その言葉にハッとされられた。自分の仕事に自信をなくしていたが、改めて看護師としての道を正してくれたような気がした。

 

私が小さい頃から目指していて、希望をもって入職したあの頃を思い出した。2年目も終盤となり、その志を忘れかけていた。バリバリ、働く。専門職としてのプライドをもって働くべきであると。当たり前と分かっていても、なんだか置いていかれる時がある。一番は患者ファースト。しっかりと寄り添いながら、発信できる看護師でありたいと思う。

 

外向思考となり、お世話になった方とお話することで学ぶことが多く、凝り固まった考えをリセットしてくれる。そんな意味でも、自分のルーツに触れたり、新たな場所に赴くことは大切であると感じる。定期的にしていきたい。

 

超過酷!?大学寮の話

徳島を訪れたと言うことで。ここで4年間過ごした大学寮の話。

 

一人暮らしを、するならば奨学金を借りなければならないということで問答無用で寮に住むことになった。母親も,大学寮で学生時代は過ごしたため幼い頃からその話は聞いていた。共同生活にも抵抗はなかった。

 

お部屋周りという行事がある

先輩の部屋を周り15分自分の話をし続けるのだ。

1週間で全先輩の部屋を,周りコメントをいただく。

 

人によっては雑談で終わることもあれば正座で,話し続けることもある。

期間内に終わらせないといけないというプレッシャー。先輩と話す緊張で震えあがっていた。今でもそこで話したことは覚えいる。今までの自分の経歴を聞いてもらうことは中々ない。最後に先輩にもらうメッセージは心温まる言葉で本当に嬉しかった。

大変だったが、同期で乗り換えた経験がかけがいのないものとなった。

 

他にも、様座な行事がある。男子寮と女子寮が年に一度解放され、合法的にお互いの寮を行き来できる。部屋で料理を作りもてなすのだ。寮祭と呼ばれている。最終日には、一年生が出し物をしなければならない。

もう、昭和、体育会系。の一言。

 

最初は嫌で嫌で仕方なかったことも、ただ今思うとそれも思い出。全員が家族の様で本当に楽しかった。

 

 

 

ルーツを辿る

大学時代は徳島で過ごした。

 

卒業して2年が経ち、久しぶりに思い出の地を訪れた。コロナの期間を終え、お世話になり過ぎた居酒屋がなくなっていたことにショックを受けつつも、当時の旧友やアルバイト先のあたたかさは健在。お世話になった服屋や眼鏡屋の方々にも、「おかえり」と言ってもらえる。第二の故郷。帰る場所があって本当に,ありがたい。

 

20代のうちにしておいた方がいいことの一つに、「ルーツを辿る」と書いてあった。

 

生きてきた道を振り返ることで、自分の核が分かる気がする。

 

楽しかったこと、ワクワクできるものはなんなのか、大変だったこと、しんどいと思うことに共通すること、それをどうやって乗り越えてきたのか、自分を知ってる人がどのように声をかけてくれたのか、支えてくれたのか等々

 

それらの経験が、今後何か壁に当たった時に今までの生き方がヒントになれたらいいと思う。振り返って思い出してそれをもう一回繰り返していけばいいだけ。楽しさも、苦しさの乗り越え方も。

 

生まれてから成長するまでの期間に触れてみよう。明日への活力につながるはずだ。

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上質なご飯を食べると

24歳恥ずかしながら、ディナーというディナーを堪能したことがほとんどなく、質より量を優先していた食事であった

 

そんな中、友人のアルバイト先であった徳島のイタリア料理店に赴く。

 

地元の食材をふんだんに使った至極の食事。頬の内側からじわじわとくる感覚が忘れられない。

 

特に1番は鴨 蒸し焼きにしたあと炭で炙る 噛めば噛むほど溢れ出す肉汁。味があるとはこのこと。付け合わせの野菜もこだわってて美味であった。

 

上質な食事は気力高めて、活力となる。体の内側整えて、日々を暮らしを過ごすための1番の方法。

これからは食事にこだわれる人間になろう。

 

素敵な機会を,ありがとう。感謝。

 

 

 

給料日と引き落としの間の無敵期間

題名の通り。今現在、その時期。以上。

 

この期間に偉い人は絶対名前をつけてるはずだ。誰しもが体験するであろう。

 

財布の紐が緩むと言うか、もはや紐なんてない。

 

散財しているつもりはないけれど、日々のお仕事を精一杯頑張るために、たくさん自分を労ってあげたい。

 

月一で新幹線利用は流石に労りすぎかとおもうが、いいの。経験に諭吉を注ぐ。若いうちにたくさん謳歌してやりたいことやって、悔いなき20代を過ごしたい。

 

やりたいことリストを書いてみた。

総勢100前後。今年中に達成したい。

 

ちなみに今日は三連休初日。念願の有馬温泉に一人旅。絶賛移動中。このワクワク感たまらない。

 

オシャレして化粧して、女が女であるための最低限を網羅して、いざ行かん!

 

また感想は後日。